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「グロテスクな教養」

高田理恵子氏のちくま新書の本。この人は自らがかなりの教養人でありながら教養の意義について至って懐疑的であり、この本では過去の教養について述べれてきた言及の過程の生態を描くなどとかなり皮相的に教養を捉えているのだが、(そしてこの人によれば全ての人が批評家になれるネット時代になって教養も死に絶えた結果それは当然の態度というのだが、)私はこの人とはかなり違った立場で教養を捉えている。

大学時代のときより私は大学で研究することの意味とは何か、その存在意義についてかなり深刻に悩んだものである。そしてこの問いはかつて存在した大学闘争が闘われなければならなかった意義そのものを問うことにもなり、また現在では単にBLOGや掲示板、メーリングリストぐらいでしか発言の場が見出せていてない知識人とは名ばかりの現在の私の立場の発言力について問うことでもある。

昔から私はこう考えたものである。”我考える故に我あり”というがでは自分の体も含めて何もない虚空でなされた思惟もそれが存在しえているといえるのだろうかと。「カードキャプターさくら」の世界にDARKのカードが出てくるが闇の包まれても自分が存在しえているのかどうかは私にとってかなりシリアスな問いだったわけだ。

さて、ここで再び教養というのを問うてみよう。もし教養がなければ私たちは人にとって何が普遍的問いであり、人はどういう答えを出してきたか何も知らないことになる。ある普遍的な問いに対してその時々の最高の答えを見つけ出そうとしてきた人間の歩みはそれだけで崇高で美しく、人間性の本質にまで迫っている。答えは時や場所により違っているだろう。だがそこから学べることは多いし学べること自体が人には同じ人間性があることの何よりの証しとなる。違いは共通する場を介して初めて差異として認識され棲み分けが可能となる。

唯一つの回答はないに違いない、だがどこか別な領域に普遍性があると知ることで現在を相対化しより良い状態を構想する希望が沸いて来る。人間性にある本質が存在するだろうと思うことで他者への共感が沸き複雑すぎる他者の予想不可能性を前にその間に翻訳の架け橋を渡そうという気も起きる。これらの翻訳ならびに理想を目指した構想は現状を内省しそこに存在する問題点を言葉にしようとする分析を生み出すことになる。つまり教養は現状を分析する科学力を生み出すのだ。
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プロフィール

とくもと(本名徳永基二)

Author:とくもと(本名徳永基二)
35歳、非マルクス系社会主義者兼、おたく評論家
を自称する禿のフリーターのおっさん。

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