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「資本」論中途感想(2)

交換関係は実は互酬よりも多くの前提を必要とする。複雑な関係である。互酬は相手がそれを必要としているかどうかは然程問わない。要は贈与によって相手に真心をこちらはちゃんとつくしたぞという負担感を与えればいいのだ。負担感を与え合うゲーム、これが互酬である。

一方、交換では相手が自分の欲しいものを持っているのかまず知らなければならない。税金を取り立てる時、相手の資産状況をどうやって把握するのかが問題と化すように、相手が自分の欲しいものをもっているかどうか知るのは結構難しい。

しかも、相手がこちらの持ち物で交換してくれるという確信をもたなければならない。相手は「俺のものは俺のもの、お前のものも俺のもの」という思考の持ち主である可能性も充分ある。相手が何を欲しがっているかを読むのは結構大変なことである。おまけに、相手が交渉に応じるかどうかの確信も必要だ。若しかしたら相手は「神の教えではこのものはこの交換比率以外で交換してはならない。それを破ると災いが来るとある。」などと言い始める可能性もある。

このように考えてゆくと互酬よりよっぽどハードルが高い。とはいえ、交換が自然状態でないと言いたいのではない。自然状態とは高度に制度化されたシステムであり、交換は既存の社会が分業を発展させた結果生み出したメカニズムであると言いたいのである。すなわち、交換の可能性が比較優位の考えを生み出し分業を生み出したというより、互酬が行われている社会で分業が発展した結果、交換に変化したのである。利己心とは高度に社会的な振る舞いである。何が得であるかは社会状況が違えば意味合いも違ってくる。

所でこういうのをもし自然状態と読んでしまうとすれば(おそらくこの社会は成文法すらあってもおかしくない)何が人為状態なのかという逆の設問が成立する。結局、国家があるかどうかなのである。対外的に顔になるような長がいて、対外に対して示せる法制度(勿論、外人もこれに服することになる)があるかどうかなのだ。(要するに人為、自然の区別と官、民の区別が一致しているわけだ。)

結局、国家とは外部との折衝(戦争や交易など)ゆえに成立するものなのである。
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プロフィール

とくもと(本名徳永基二)

Author:とくもと(本名徳永基二)
35歳、非マルクス系社会主義者兼、おたく評論家
を自称する禿のフリーターのおっさん。

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