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無駄論ー複雑性の収斂について

私は長いことアルバイトで生計を建ててきたが、今やっている仕事ー鍋洗いがいわゆるパーキンソンの法則に当て嵌まる類であることをよく知っている。(パーキンソンの法則を知ったのは高校時代の読書経験からなので私は現在の仕事に就く前にそれが単に無駄な仕事であることを知っていたことになる。)

どこが無駄な仕事なのか。鍋洗いがいることによって、私に仕事をさすために上司(調理人)はいらない洗物をワザとでっち上げなければならない。私は自分の仕事がさも必要なことであるかのようにその仕事に付加価値をつけて(別名余計な手間隙という)大げさにこなそうとするだろう。おまけに調理人が汚いものとそれほど汚れていないものを一緒に出す。私はそれがなんに使われたかを知らないから、もっとも汚れているものを基準として洗おうとするだろう。実際汚れたものとあまり汚れてないものを”一緒に"出すと汚れがあまり汚れていないものにまで伝播する。その結果調理人本人が自分でその場で洗うよりもかえって仕事が増えるという結果になる。まさしくパーキンソンの法則を地で行く現状がそこで成立するわけだ。

さて、私は以上のことが充分わかっているにも拘らず、何故、その現状を変えれないのか、理由は簡単だ。現状を変えるためには自分で自分がいらない人間であることを認めざる得なくなるからだ。実の所、無駄であることを言い始めれば文明は全て無駄の所産であり、人間はその存在そのものが無駄であるという極論にまで到達する。現状を最も効率よくするために必要なことは人間がみな進んで自殺を図り、全員が死に絶えることことが必要である。我々人間にとって唯一意味のある行為とは人間の作り出した全ての無駄な産物を元の現状に復元することのみということになるだろう。

従って私は何が無駄かを考えない。全てに意味を与えるのは何が無駄かではなく、何をしたいかという欲望の次元である。実は無駄という言葉が意味をもつのは欲望を満たすために何が最も適切な手段選択であるかを考えた時のみだ。すなわち、無駄とは個人の主観内でこそ意味を持つ概念に過ぎない。

次に考えなければならないのは目的ー手段関係だ。この目的ー手段関係をじっくり、生真面目に追及しすぎると無限後進に陥るというパラドックスを抱えている。AをするためにはBをしなければならず、Bをするためには更にCを、CにはDを幾らでも後進状態が続く。これをせき止めるには既に現状にて過去の何がしかの遺産として伝わっているものをその由来を考えず使いこなすこと、並びにありきたりの周囲の物を通じて取り合えず形を整えることから始めることである。

更に目的を追求する時考えなければならないのは、それが純粋物理動作でない限り、大抵の目的には他者の評価を含んでいることだろう。偏差値を上げる為に勉強するとする。所が同じ頃他者も同様に勉強している。すると少々勉強したぐらいでは他者との差は埋まらない。

では、どうするのか。他者(彼とか彼女とか第三者)のことを考えすぎないようにするのである。テストの件で言えば、テスト問題のみに意識を集中するということである。だが、まだ見ぬ問題をどうやって知ることが出来るだろうか。やはり試験問題を出す側と心理合戦を繰り広げるのか。そうではあるまい、必要なのは相手が何を考えているかでなく(他者が2人称になっても他者の心理を外からでは伺えないのは同じこと)過去問に基づくパターンを探ることなのだ。このことは実は大抵の人間関係にも当て嵌まる。我々は他者の感情を読み取ろうとしても容易にわからないが、過去の既に過ぎ去った状況に対してならパターン認識を働かすことが出来る。(過去は常に非対称である。それは後から読み解く側に一方的優位な状況にある。既に起ってしまったことは修正できないが読み解く側はそれを自由に解釈できる。)現状に対する行為とはこのパターン認識に基づいた当て推量の上に成立する。過去はこうだった、だからこいつの役割はこうだろう。よって私はこう動こう。

さて、以上の話をまとめるとこうなる。
A,状況を意味づけるのはあくまで個人の欲望。無駄か無駄でないかは個人の欲望にとって手段として役立つかどうかで決まる。

B,手段の選択は有り合せの素材を組み合わせることで成立する。その時、それが成立するまでに生じたはずの複雑なプロセスは取り合えずショートカットされる。

C,行動に伴う状況判断において他者の存在は取り合えずエポケーされる。目的手段関係に意味のある他者(YOU)は過去に対するパターン認識の上で特定の役割を担うキャラクターと分類され、盤上の駒としてシュミレートされる。








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プロフィール

とくもと(本名徳永基二)

Author:とくもと(本名徳永基二)
35歳、非マルクス系社会主義者兼、おたく評論家
を自称する禿のフリーターのおっさん。

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