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一元論と多元論

本田透氏の「萌える男」に触発されてこういうテーマで少し書きたくなった。私はこの本の書評の中で資本主義と市場経済は別物だと書いたし前に市場経済を資本主義へと狂わせているのは貨幣制度の構造的欠陥のせいだとも書いた。ここで問題にしたいのは、資本主義制度を是正するには果たして国家による統制が必要なのか、若しくは貨幣制度は国家主権の裏付が必要なのかという問いだ。

貨幣とは本来手形取引が発達したものである。手形の価値を支えているのはあくまで、手形を発行した個人の労働に対する受取人の信頼、労働に対する市場評価であって貨幣そのものが価値をもっているのではない。本田氏によればおたく市場は生産者=消費者の理想系に近い市場であるという。ならばもし、この市場に独自通貨"MOE”を導入したとすれば、"MOE”の価値を支えるのは萌えグッズを作り出す職人たちに対する同じおたくの信頼であることになる。

所が奇妙なことに現在では貨幣の方が労働の価値を測り、貨幣の融資に関してあれこれ条件をつけるといった具合なのである。この問題を取り扱ったのがいわゆるケィンズの投資の限界効用の理論というわけだ。投資活動で儲かるか儲からないかはあくまで運まかせなのに、金を借りるためには必ず儲かると説得しなければならない。そのために資本主義市場は激しい弱肉強食の争いが生じるのである。ではこれらの貨幣側の権限は誰によって保障されているというのだろう。

現在の国定貨幣こそ、実は最大の無担保貨幣である。現在政府が取りえる景気刺激策は財政政策と金融政策の二種類あるがこの二つの方法はどちらも構造的問題を抱えている。

まず、財政政策。政府が今、公共投資を行ったとする。これが乗数効果を生み、景気を刺激するかどうかは一重に政府の需要誘導に乗ってくれるだけの消費マインドがあるかどうかに掛かっている。もしそれがなければ、企業は無駄な施設を新たに一つ拵え設備維持費ばかり掛かるお荷物をまた増やしたということになるだろう。
一方の金融政策も日銀が行う潤沢な準備金の融資は要は市中銀行が貸し付けられる企業が豊富に存在してこそ意味を持つのであって消費マインドが冷え込んでいると企業も設備投資を躊躇し、日銀から貸し付けれた金はせいぜい債権市場(国債やら地方債やら)に向かうだけである。こうなると貨幣価値を支えているのは政府の赤字という何やら蛸が自分の足を食うような話になり貨幣価値はますます空洞化してゆくことになる。

ではどうすれば貨幣価値はしっかりとした労働担保の上にその価値を支えて行けるのかといえば基礎所得政策を導入すればいいのである。基礎所得を導入すればただ乗りが生じるという批判に対するこちらからの答えは既に答えた。基礎所得を得た人々は自分の能力を最も発揮出来る現場で働こうとするようになり、いびつな労働構造は解消し希少資源の最も効率の良い使用が可能な棲み分けが自ずと達成される。全ての人が希少資源の範囲内における最大効用を得られるようになるだろう。自己の能力を十全に発揮出来うる機会に恵まれた人々は真に自立した個として差異的な関係性の中で共存可能になる。

さて、ここまでの話を見てみれば解かるように、実の所貨幣の価値を保つのに必要なのはどれだけ共同幻想の価値をその媒体を通じて表現可能か、どれだけ個人の能力発揮のための触発剤となりえるかどうかであって、国家の裏支えがあるかどうかではないということに気が付く。私はハィエクと同じ経済的立場に立つものではないが国家による裏支えという思想こそが貨幣の価値を空洞化する悪しき元凶であるという主張は支持しても良いと思っている。多数の貨幣発行当局が互いに自らの発行貨幣の利便性を巡って競争しており、個人はそれらを使い分けながら自分に最も相応しい流動性保有の手段を考えるこういう状況が一番望ましい。

さらにもう一つ、付け加えておくとこういう貨幣は地域通貨なのか補完通貨なのかという点だ。地域通貨という考え方には地域という概念がもつ排他性がどうしても絡んでくる。一方、私は円貨にチャレンジしようとまでは思っていない。そもそもチャレンジという言葉には唯一つの主権たる通貨という観念が付きまとう。ここで述べているのは円貨によってはその価値を正当に評価できない労働の領域が無数に広がっているからそこを評価可能な通貨が別にあるという話なのである。よって補完通貨もしくは平行通貨という言い方が相応しいだろう。


さて、結論である。先に私は法の普遍性を支えているのは人々の原罪意識と脱構築可能性=環境適応性であることをみた。また、ここでも貨幣の流動性は国家主権とは全く関係がないということをみた。思うに唯一の主権団体があるという一元論こそが社会に争いの原因を生み出しているのであり、この一元論を改めることこそ人々が互いの差異を認め合い共存する確かな方法なのだ。
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プロフィール

とくもと(本名徳永基二)

Author:とくもと(本名徳永基二)
35歳、非マルクス系社会主義者兼、おたく評論家
を自称する禿のフリーターのおっさん。

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