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民主主義は何故普遍的理念といえるのか

社会主義の理念を復権させようと考えるなら啓蒙理念の復権を図るところからまず始める必要がある。なぜなら、社会主義とは結局経済の領域にも民主主義を導入しようとする思想に他ならないからだ。だが世間は保守化しており民主主義の意義すら見失われつつある。ここでは啓蒙の理念を現代的な観点から復権するにはという形の論を進める。

まず、民主主義とは何か。対話的公共圏というメカニズムがシステムの変換の重要な結節点として機能している社会を構想する思想である。

では対話的公共圏とは何か、人がある特定の責任を引き受けるというという条件下のもとで誰もが自由に参加し、合理的ディスカッションを通じて社会制度の基本的制約条件を決めるメカニズムのことである。

こういうメカニズムがうまく働くためにはいくつかのシステム要件を満たさなければならない。

1、参加者がこのシステム外の社会的地位や尊厳に惑わされることなくただ、合理的討議によってのみ結論が導き出されること

2、にもかかわらず、参加者が複数の人格を使い分けたり、事前に結託して意見操作しないことが求めれる

3、ここで為された対話は記録され、この対話的公共圏の外部の他者でも参考に出来るしこれに続く討論がいつでもその対話の過程で得られた成果を自らの史的背景として参考にすることが可能である。

4、会話の中に出て来る現状分析並びに参考資料はそれなりの客観性(他者による復元性、下地としての共通性)を持つものでなければならない。

5、この対話への参加条件は明確であり、個人の生まれ門地など先天的なものによって限定されておらず、他者でも後天的に参加条件を満たしうるものでなければならない。

などである。こういうのを理想的発話条件というが勿論こういう条件を備えたシステムが最初から存在するわけでない以上これを理想として作っていかなければいけない。

さて、民主主義とは何かをこれで説明ができたわけだが、こういうシステム構想が何故普遍的理念となりえたのかである。それは既にデリダ論の中で言及したとおりだ。

すなわち「外部から発生するリスクに対して再帰的に自らの論理を見返すことが出来、多様な環境に適応可能な理念が普遍的と言われうる」
で、民主主義はたまたまこれまでそういう条件に適応した柔軟なシステムだったから普遍化できたのである。

実際、民主主義は殊更、普遍性に拘らなければならない理由があった。それは歴史的根拠付けに乏しく、革命によって王政を打破するという始発源があるため、この原罪に対してマクベスの様に常に自らを普遍的であると立証し続けざるを得ない(でなければ、いずれは自分が倒される王としての役割に陥るかもしれない)という宿命に捉われているという点だ。「人は生まれながらにして自由である」という宣言に基づく民主主義は「ここに一人の不自由な人がいる」という特殊事例一つでその根拠を崩されかねない。よって外部の他者の訴えに耳を傾けざるをえなかったのである。私は一般にこれを「キリストの計略」と呼ぶ。(キリストは自ら十字架に付くことで「神こそが最大の罪ある存在ではないか」という人々の疑いを封印し、人間に全ての責任を丸投げしてみせた。フランス革命はいうなればその再現前である。)

さて、この議論に絡んでいくつかのことも指摘しならない。1、このシステムは代議員制議会を必ずしも前提としない。代議員システムは本来、貴族制の下で生まれた制度で民主主義とはその始まりが異なっている。
2、このシステムは国家という枠を前提としない。民主主義はそれを担う人が生きていて、それを担える場所さえあればどこでも始められるシステムである。ということである。

現在は保守化の激しい世界なので国家という枠組みの自明性を疑う考えは少数と化しているが本来社会主義とは理念を担う同志さえいれば国家を越えて連帯が出来るという思想である。従って国家防衛は社会主義の前提において存在しない。国家はたかがサービス団体にすぎず、個人が自由に出入りしたり複数の国家のサービスを個人が組み合わせて受けたり出来て当然のものである。勿論、国家を守りたいと思っている個人の自発的欲望を否定しうるわけではないが社会主義のフィルターを通すと全ての闘争は革命権の行使という枠組みで見られることになる。

マルクス主義の革命概念との最大の差はマルクス主義が既存の民主主義体制の転覆を目論んでいるのに対してここで言う革命権の場合、民主主義の防衛を目的としているという点にある。勿論、合法的闘争を通じて展開される運動であることはいうまでもない。(法に基づく支配は民主主義の基礎的条件だ。)革命権の行使は全ての個人に強要されるものではない。(階級闘争でなくシステム改変若しくは維持が狙いなので、ある階層に対する排除が伴わないし、運動への参加は自発的意思である)この戦乱を避けて逃げてゆく人々はそれはそれで意義がある。すなわち外部の世界に何が起きているのか伝える人、並びに万が一、革命側の勢力が負けた場合、その成果を外部で引き継ぐ人が必要なのだ。


因みにこの闘争は憲法9条問題を誘発しない。なぜならレジスタンスは国権の発動ではないので国による武力行使ではないからだ。(別な法律による規定を必要とするかもしれないが)

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プロフィール

とくもと(本名徳永基二)

Author:とくもと(本名徳永基二)
35歳、非マルクス系社会主義者兼、おたく評論家
を自称する禿のフリーターのおっさん。

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